東京地方裁判所 昭和32年(ワ)3430号 判決 1960年8月16日
原告 大野春蔵
被告 株式会社写真科学研究所(旧商号ホトフイニ株式会社)
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
(双方の申立)
原告は、被告は原告に対して金二〇万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決及び仮執行の宣言を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
(原告の請求原因)
原告は特許番号第二二四、四五四号発着両用判定写真撮影装置の特許権(スリツトカメラにより白線を用いて特定時刻を表示し得る装置。以下、白線特許権という)及び特許番号第二〇八、六九二号発着両用判定写真撮影装置の特許権(スリツトカメラにより黒線を用いて特定時刻を表示し得る装置。以下黒線特許権という)を有し、埼玉県戸田競艇場で前記撮影装置を使用してボートレースの発着両用の判定写真を撮影している者である。そして、被告は昭和二九年六月から昭和三二年六月まで東京都の大森競艇場において自己のスリツト・カメラを用いてボートレースの判定写真を撮影していた者であるが、被告使用のスリツト・カメラは原告の前記両特許権の権利範囲に属するものであるから、原告は被告に対して右特許権の侵害によつて生じた損害のうち金二〇万円の賠償を求めるものである。以下、その主張を具体的に明らかにする。
(白線特許権の侵害について)
原告は、昭和二七年六月三日、自己の発明にかかる写真装置について特許庁に対し特許出願をし、右出願は二九年六月三日公告され、三一年七月九日査定をうけ、三一年八月七日登録された。
右の白線特許権の権利の範囲について、その特許明細書により検討するに、その「特許請求の範囲」の項には、(甲)、対面レンズ後方にスリツトを設け、その後方を連続的にフイルムを移動せしめるスリツト・カメラにおいて、(乙)、対面レンズを経てスリツト間隙に入射する光線をフイルム移動量に対し常に一定の比率の回数をもつて遮断ないし制限することによりフイルム面に未感光ないし感光不足の線をフイルム移動速度に関係なく一定間隔毎に生ぜしめながら、(丙)、特定時刻において単一強力感光線をも併せ感光せしむることを特徴とする発着両用判定写真陰画の撮影装置となつている。更に特許明細書全文に照らして右三点の作用効果を考察すると、(甲)の点は、作用効果は別になく、単にスリツト・カメラというものを説明した語にすぎず、(乙)の点は、着順の微差判定を容易にすること、(丙)の点は、誤発走の判定ができるようにすることを目的としたものであることがわかる。すなわち、(乙)は着順判定のとき、(丙)は発走判定のときに、夫々異つた目的に対し各々のもつ特徴を独立して発揮するものであることが明らかである。
原告は、発走判定写真撮影の際、(乙)のいわゆる着順判定線(黒線)を入れながら、同時に(丙)の発走判定線(白線)を感光させた写真を撮影している。これは(乙)(丙)を同時に使用していることになるが、この場合(乙)の作用効果をなす着順判定線は発走判定に何等の意味をもつものでない(甲一号証の二特許明細書第一頁右列七ないし八行目の説明参照)。これは(乙)の装置がフイルム移動装置に連動しているためで、殊更ら発走判定に際し(乙)の機能を停止する装置を設けて(丙)のみを使用するという煩をさけ、(乙)(丙)を同時に使用しても(乙)は未感光線であり、(丙)は強力感光線であることから、(丙)の効果のみを有効に利用し得るので、(乙)(丙)の同時使用を行つたまでのことで、その組合せによる新規なる効果はない。
すべて特許発明が数個の装置を包含するものについて存する場合には、その包含する装置中に出願当時既に公知公用のものがあるときは、これを特許の範囲より除外すべく、もし当該装置のすべてが出願当時公知公用のものなるときは、特許の権利範囲はその新規の効果を挙げるためこれを組合せた点のみに限定されなければならない。従つて、特許発明の権利範囲を判定するには、当該装置につき公知公用のものがあるか否かを審究しなければならない(大審院昭和一二年一二月二〇日判決)。そこで本件白線特許権についてこれをみると、
(イ)、(乙)及び(丙)の点の組合せについては、何等それによる新規な効果を生じないから、発明として何等意味がなく、この点についての特許はあり得ない。
(ロ)、(丙)の点については、誤発走を判定しうる効果があり、かつ公知公用のものでなく新規の発明である。このことは、白線特許権の公告に際し、被告が二九年八月四日特許異議の申立をなし、特許庁は三一年七月九日右異議は理由がないとの決定を下していることからみても明らかである(甲第二号証参照)。
(ハ)、(乙)の点については、甲第三号証の一、二の伊東競輪判定写真に示すように、この装置のあるスリツト・カメラを二六年から引続き原告自身が伊東競輪において着順判定用として使用しており、本件白線装置の特許出願当時既に公知公用のものとなつていた。従つて、この点は特許の範囲より当然除外されるべきものである。なお、特許庁審査官が何故本件を特許する場合(乙)を削除させなかつたかというと、現在の特許法及びそれに関する法令等では、そのような場合(乙)を削除させる規定がなく、明細書の訂正を命ずることができるのは、特許法施行規則第一一条の規定による場合だけであるからである。又特許庁審査官は現在(出願当時を含む)乙を削除するような訂正指命を出していない。
よつて、特許明細書の特許請求の範囲の字句によると、(乙)及び(丙)を具有したものが本発明のようにみられるが、前述のように(乙)は公知公用、(丙)は新規なる発明、(乙)と(丙)との組合せによる発明は存しないから、本件白線特許権はスリツト・カメラにおいて特定時刻に単一強力感光線(白線の発走判定線)を感光せしめる点、すなわち、(丙)について与えられたものと解すべきである。
およそ特許発明と同一要素を具備しているものは勿論、特許発明の要旨とする所を利用し、これに別個の装置を附加したものも共にその特許の権利範囲に属するものである(昭和一三年抗告審判第一一一九号参照。写添付)。すなわち、スリツト・カメラにおいて前記(丙)の装置を具備せる限り、他に如何なる装置が附加され、または組合されていようとも、本件白線特許権の権利範囲に属すること明らかである。ところで被告が大森競艇場において使用したスリツト・カメラには前記(丙)の装置が施されているので、被告が右カメラを使用して判定写真を撮影したことは原告の白線特許権を侵害するものである。
(黒線特許権の侵害について)
原告は、昭和二七年五月二四日、自己の発明にかかる写真黒線装置について特許庁に対し特許出願をし、右出願は二九年六月二九日公告され、同年九月三〇日査定をうけ、同年一〇月一五日登録された。
黒線特許権の権利範囲をみるに、その特許明細書の「特許請求の範囲」の項には、「レンズの後方にスリツトを設け、その後方を連続的にフイルムを移動せしむるスリツト・カメラにおいて、特定時刻に未感光の単一縦線を、或は特定時刻前は未感光の格子状線、特定時刻後はフイルム移動量に対し一定間隔毎に未感光の多数縦線をフイルムに生ぜしむることを特許とする発着両用判定写真撮影装置」と記載してあるが、「特許請求の範囲」には、発明の要部だけでなく、関連事項も記載することがあり得るから、要部を認定するには発明の性質、目的等を参照して決定することを要し、具体的に言えば、「特許請求の範囲」から重要な点と第二義的な点を引き出すには、効果の記載の有無から考案の要点をとり出してこれを決定すべきものである。ところで、黒線特許権の特許明細書の「発明の詳細なる説明」の項には、本発明の効果として一つの実施例を挙げ、「上記により写真面に撮影されたる各被写体の位置と第五図(ロ)とを比較すれば、発走時刻において被写体はスリツト線を通過せしや否や、又第五図(イ)の格子状線中の多数縦線或は同(ハ)の多数縦線により各被写体のスリツト線通過順位をも併せて検し得る。」とあり、他の実施例として、「又摺動物において遮光性の横細線を設けず、かつ回転具をも用いざる場合において前述の要領をもつてすれば、写真面は発走時刻において単一未感光線のみを生じ、その前後は格子状線及び多数縦線を生ずることなく、発走判定にのみ用い得る。」と記載してあり、これを要約すれば、前記いずれの撮影実施例においても発走判定撮影の効果を求める点は不可欠であり、他方スリツト線通過順位の撮影効果を求める点は随意であつて、多数縦線はなくてもよいということになり、通過順位を検し得るという効果は必須要件でないことが明確である。従つて、本発明の最も重要な効果は、「写真面に撮影されたる各被写体の位置と第五図(ロ)とを比較すれば発走時刻において被写体はスリツト線を通過せしや否やを検し得る」という記載のみになる。換言すれば第五図の(ロ)、すなわち、一種の境界と各被写体の位置とを比較して、発走時刻における各被写体が夫々スタート線を出たか否かを明示できるという効果のみに外ならない。そして、前記の「特許請求の範囲」に記載されている「或は特定時刻前は未感光の格子状線、特定時刻後はフイルム移動量に対し一定間隔毎に未感光の多数縦線をフイルムに生ぜしむる」という点の効果は、前述の如く本発明の構成上必要欠くべからざる効果として記載されておらず、かつ又「特許請求の範囲」に記載されている所の「未感光」という点については、特に未感光なるが故に如何なる作用効果があるか「発明の詳細なる説明」の項に何も記載されていないから、「未感光」でなくても、境界線であれば如何なるものでも本発明の効果を奏しうるということになる。
かように考えてくると、本発明の構成に欠くべからざる要旨は、「レンズの後方にスリツトを設け、その後方を連続的にフイルムを移動せしめるスリツト・カメラにおいて、特定時刻に単一境界線を生ぜしめることを特徴とする判定用写真撮影装置」であるものと解釈せざるを得ず、「特許請求の範囲」中に記載された「未感光」の点、及び、「特定時刻前は未感光の格子状線、特定時刻後はフイルム移動量に対し一定間隔毎に未感光の多数縦線をフイルムに生ぜしめる」点は夫々本発明のいわゆる発明思想と関係なく、第二義的のものである。要するに本特許発明は「レンズの後方にスリツトを設け、その後方を連続的にフイルムを移動せしむるスリツト・カメラにおいて、特定時刻に単一境界線を生ぜしめる」という技術手段を要点としており、この技術手段を使用したものはすべて本発明の範囲に入るものである。従つて、仮りに特定時刻に未感光に代る単一境界線を生ぜしめるものがあつたとすれば、それは特定時刻に単一境界線を生ぜしめるという点については全く同一であるから、本特許権の権利範囲に入ること勿論である。
ところで、被告は大森競艇場においてスリツト・カメラを用いて単一境界線を生ぜしめる発走判決写真撮影を行つていたものであるから、その境界線、すなわち、発走判定線が感光線たると未感光線たるを問わず、右のスリツト・カメラは原告の黒線特許権の権利範囲に属し、被告は原告の黒線特許権をも侵害しているものである。
なお、原告が本訴において白線特許権の外に黒線特許権の侵害を主張するのは、被告が白線特許権に対して先用権を有すると主張しているので、仮りに被告主張のような先用権があるとしても、黒線特許権の侵害になるという意味で右の主張を請求原因として附加しているものである。
(賠償請求について)
原告は埼玉県戸田競艇場において一日一万円の報酬を受ける約束で前記特許に係る撮影装置を使用してボートレースの判定写真の撮影を行なつている者であるが、被告は昭和二九年六月以降、浜名湖、大森、多摩川、江戸川及び桐生の各競艇場において、原告の特許範囲に属するスリツト・カメラを使用して判定写真の撮影を引受け、原告に多額の損害を与えているが、原告は、本訴において、とりあえず、左記損害に限つてその賠償を求めるものである。
被告は一日二万円の報酬契約で昭和二九年六月から三二年六月までの間に合計四三二日間大森競艇場においてボートレースの判定写真撮影を行い、多額の利益を得たが、もしこれを原告が引受けるときは、一日一万円として四三二日間、合計四三二万円の利益を得べかりしもので、これは、被告の原告に対する特許権侵害行為によつて原告の蒙つた損害であるから、原告は本訴においては右の損害のうち金二〇万円の支払を求める。
(被告の答弁)
(認否)
原告がその主張のような白線特許権及び黒線特許権を有すること、その特許明細書に原告主張のような記載があること、被告が自己のスリツト・カメラを使用して、昭和二九年六月から昭和三二年六月まで大森競艇場においてボートレースの判定写真撮影を行つていたこと及びそのスリツト・カメラには特定時刻において単一強力感光線(原告のいわゆる白線の発走判定線)を生ぜしめる装置が施してあることは認めるが、その余の事実はすべて争う。
(主張)
(一) 被告使用のスリツト・カメラは原告の特許権の権利範囲に属するものではない。
被告の使用するスリツト・カメラは、被告が特許権を有する特許番号第一九三、〇八四号判定写真陰画の撮影装置(昭和二五年八月二八日出願、二六年一一月二七日公告、二七年二月七日査定、二七年二月一四日登録)によるものであつて、レンズの後方にスリツトを設け、その後方に連続的にフイルムを移動せしめるスリツト・カメラにおいて一定位置に装置された断光羽根の廻転若しくはネオンランプの点滅によつて一定時間毎に不露出露出不足或いは露出過度の部分をフイルムに生ぜしめる事を特徴とする判定写真陰画の撮影装置を利用して、特定時刻、すなわち発走時に右ネオンランプを点滅せしめてスリツトを通じて露出過度の部分を生ぜしめるものである。
原告は、白線特許権について、着順判定線の部分は公知公用のものでこれについての特許はなく、発走判定線のみが新規な発明であると主張しているが、これは誤つている。原告の特許は発走判定線と着順判定線とが組合わされている点に新規性があり、この点が特許となつているものである。何故ならば、原告の主張する「特定時刻において単一強力感光線を感光せしむる判定写真陰画の撮影装置」なるものはスリツト・カメラにおいては容易に着想し実施し得る公知公用のもので、これのみによつては何等新規性ある発明ということはできない。白線特許権の「特許請求の範囲」に、「フイルム面に未感光ないし感光不足の線を……一定間隔に生ぜしめながら特定時刻において単一強力感光線をも併せ感光せしめることを特徴とする」と記載されているのは、正しく単一な発走判定線のみにては新規性なく、着順判定線と結合されてはじめて新規性ありとして特許せられ、その結合が本件発明の権利範囲であることを示すものである。要するに、原告の白線特許権は発走判定線と着順判定線との結合が新規性ありとして、発着両用判定写真撮影装置として特許されたものであるから、発走判定線の部分を被告が利用しても原告の白線特許権を侵害したことにはならない。
また、原告の黒線特許権は、その「特許請求の範囲」に明記されているように、「特定時刻に未感光の単一縦線を」フイルムに生ぜしめることを特徴とする判定写真撮影装置であつて、特定時刻に強力感光線(白線)を生ぜしめる装置とは明らかに異る発明である。原告は「特許請求の範囲」に記載された「未感光」の点は本発明のいわゆる発明思想とは関係なく第二義的のものであつて、未感光線(黒線)と単一強力感光線(白線)とは作用効果において何等異なるところがないかのように主張しているが、白線と黒線とでは大いに作用効果を異にするものである。競輪のようにゴールラインが白線の場合は、スリツトカメラによる着順判定写真は、競走体の背影が陽画にて白一色になるから、着順判定線は背影と明確に区別するため陽画にて黒線が望ましいが、逆に競馬又はボートレースのように目にみえるゴールラインが無く、黒色に類する地面又は水面が背景をなす場合は、判定写真の背景は陽面にて黒色になるため、判定線は陽画にて白線の方が望ましい。従つて、判定線を未感光線(黒線)にするか強力感光線(白線)にするかによつて大いに効果を異にするのである。従つて、被告使用のスリツト・カメラに発走判定線(白線)の装置があるからといつて、これをもつて原告の黒線特許権を侵害するものということはできない。
(二) 原告の白線特許権は被告の前記一九三、〇八四号の特許発明を利用しなければ実施できないものであるのに、原告はその実施許諾を得ていないのであるから、仮りに被告のスリツト・カメラが原告の白線特許権を侵害するものであつても、原告は被告に対してこれによつて生じた損害の賠償を請求することはできない。
原告の白線特許は、(甲)、対面レンズの後方にスリツトを設け、その後方を連続的にフイルムを移動せしめるスリツト・カメラにおいて、(乙)、対面レンズを経てスリツト間隙に入射する光線をフイルム移動量に対し常に一定の比率をもつて遮断ないし制限することによりフイルム面に未感光ないし感光の不足線をフイルム移動速度に関係なく一定間隔毎に生ぜしめながら、(丙)、特定時刻において単一強力感光線をも併せ感光せしめることを特徴とする発着両用判定写真陰画の撮影装置であり、被告の一九三、〇八四号特許は、(イ)レンズの後方にスリツトを設け、その後方に連続的にフイルムを移送せしめるスリツト・カメラにおいて、(ロ)一定時間毎に、(ハ)不露出、露出不足或いは露出過度の部分をフイルムに生ぜしめることを特徴とする判定写真陰画の撮影装置である。従つて、原告の白線特許は(ロ)の「一定時間毎に」という要件を除く外はすべて被告の特許要件を備えているものである。ところで、原告のスリツト・カメラはモーターでフイルムを移動せしめているものであつて、モーターの回転速度は一定しているからフイルムの移動速度も等速で、フイルム面に生ずる未感光線ないしは感光不足線は長さの尺度で等間隔であるとともに、時間の尺度でも等間隔に現われることになり、その結果として被告の特許の「一定時時間毎に」の要件をみたすことにならざるを得ない。すなわち、原告の白線特許は被告の前記特許を利用しなければ実施できないものなのである。しかるに、原告はこの点につき実施の許諾をうけていないのであるから、原告はその白線特許権を適法に実施できないものであり、従つて、その実施可能なることを前提とする原告の損害賠償の請求は失当である。
(三) 仮りに原告の白線特許権がその主張のとおり発走判定線についての特許であるとしても、被告は特許法(大正一〇年法律九六号)第三七条に基く先用権を有するものである。
被告は、競輪、競馬、自動車競走、モーターボート競走等の各種競技の着順判定写真の撮影の引受及びこれら各種競技の撮影に必要な機器の研究並びに製作販売を業とする株式会社で、昭和二六年九月一四日設立されたものであるが、会社設立当初から各地の競輪場の主催者と契約して前記一九三、〇八四号特許スリツト・カメラを使用して、競輪の着順判定用の写真撮影を行つていたものである。ところが、かねてから開催を予定されていたモーターボート競走がいよいよ昭和二七年七月上旬頃から各地において実施される運びとなり、このモーターボート競走においては、いわゆるフライングスタート方式(競艇は出発時刻前よりスタート線後方の退避水面において運動を行いながら出発合図を待ち、出発の合図と同時にスタート線を突破するのであるが、もし出発合図前にスタート線を突破していると失格となる)をとるので、出発時における判定写真の撮影をも必要とするところから、被告はモーターボート競走の開催に先だち、右出発時における判定写真の撮影装置の研究製作に着手し、昭和二七年五月中に被告が特許権を有する前記写真撮影装置を利用した出発時における判定写真の撮影も可能な装置を完成し、そして、昭和二七年五月三一日社団法人モーターボート競走会連合会その他関係者立会のもとに、東京都墨田区寺島町三の一〇隅田川造船株式会社前の隅田川において公開撮影試験を行い、これに成功したので、その後各地においてこれが実施を続けている。
右のような次第で、被告は原告の白線特許出願(昭和二七年六月三日)の際現に善意でその発明実施の事業設備を有していたものであるから、特許法第三七条に基き原告の白線特許権の実施につきいわゆる先用権を有するものである。
(被告の主張に対する原告の答弁)
(1) (一)の事実は、被告がその主張の特許権(第一九三、〇八四号)を有することは認めるが、その他の事実はすべて争う。なお被告は白線と黒線とは作用効果上異なるといい、競輪の場合には着順判定線は黒線が望ましいというが、現に岐阜や伊東の競輪においては従来より着順判定線に白線を用いて判定を行つている(添付写真参照)が何等支障がない。また競艇の場合には判定線は白線が望ましいというが、黒線を用いても鮮明な判定線が得られ、九州各地の競艇場や岡山県の児島競艇場においても黒線を用いて発走判定線を表わしている。故に、被告のこの点の主張も失当である。
(2) (二)の事実は、原告の白線特許が「一定時間毎に」の要件を除く外は被告の前記特許の要件をすべて備えていること、原告がモーターでフイルムを移動させていること、モーターの回転速度が一定であればフイルムの移動速度も等速でフイルム面に生ずる未感光線ないし感光不足線は長さの尺度でも、時間の尺度でも等間隔に現われ、「一定時間毎に」の要件をみたすことになることは認めるが、その他の事実は争う。
フイルムの移動はモーターによることもできれば、手動によることもできる。手動による場合はフイルムの移動は等速になり得ないし、モーターによる場合もその回転速度は必ずしも一定たることを要しないからフイルムの移動速度が変速する場合がある。現に原告は発走判定写真を撮影する場合にはしばしばモーターの回転速度を変えているのである。このようにフイルムの移転速度が変る場合にはフイルム面に生ずる未感光線ないしは感光不足線は長さの尺度からは等間隔であるか、時間の尺度からは不等間隔になつて、いわゆる「一定時間毎に」の要件を欠くことになる。このように原告の白線特許は被告の特許を利用しなくとも実施可能なものであるから、双方の特許の間に利用関係のあることを前提とする被告の(二)の主張は失当である。
(3) (三)の事実は、被告がその主張のような会社であることは認めるが、その他の事実は否認する。
被告が隅田川でしばしば撮影テストをしたことは事実だらうがテストが行われたのは早くとも昭和二七年五月三一日以後であつて、原告が白線特許の出願をした同年六月三日当時には未だ研究途中にあつて発明実施の運びに至つておらず、実施の事業設備も有していなかつたのであるから、先用権を有するという被告の(三)の主張も失当である。
(証拠関係)
原告は甲第一号証の一、二、第二号証、第三号証の一、二、第四号証、第五号証の一、二、第六、第七号証、第八号証の一、二第九号証、第一〇、第一一号証の各一、二、第一二ないし第二〇号証(第三号証の一、第四号証、第一七ないし第二〇号証はいづれも写真)を提出し証人佐々木孝之の尋問を求め、鑑定人古川利夫及び田村光治の第一回鑑定の結果の一部と第二回鑑定の結果を援用し、乙第一ないし第三号証の成立を認め、その他の乙号証の成立はすべて不知と述べ、
被告は乙第一ないし第三号証、第四号証の一ないし四(二及び四はいづれも(い)、(ろ)、三は(い)ないし(ほ))、第五、第六号証の各一ないし三第七、第八号証の各一、二第九号証の一ないし四(第八、第九号各証はいづれも写真)を提出し、鑑定人古川利夫及び田村光治の第一回鑑定の結果の一部と第三回鑑定の結果(第一一回口頭弁論における尋問の結果をふくむ)を援用し、甲第三号証の一、第一五、第一六、第二〇号証の成立は不知と述べ、その他の甲号証の成立を認めた。
なお、当事者双方は甲第四号証が大森競艇場において被告が使用したスリツト・カメラの基本構造を解説した掲示板の写真であることは争わないと述べ、
当裁判所は、被告に対して被告が大森競艇場で現に使用したスリツト・カメラの提出を命じ、被告が当該カメラなりとして提出したカメラにつきそれが原告の白線特許権もしくは黒線特許権の権利範囲に属するや否やの点と右カメラの装置が基本構造において甲第四号証のそれと同一なりや否やの点につき第一回の鑑定を命じたものである。
原告は被告提出のカメラは大森競艇場において被告が現に使用していたカメラではなく、重要部に改変を加えた別個のカメラであると述べた。
理由
(特許権侵害の有無について)
原告が発着両用判定写真の撮影装置についていわゆる白線特許権及び黒線特許権を有していること、被告が昭和二九年六月から昭和三二年六月まで大森競艇場においてスリツト・カメラを使用してボートレースの判定写真を撮影していたことは当事者間に争がない。
原告は被告使用のスリツト・カメラは原告の特許権の権利範囲に属するものであるという。よつて、まず、この点から検討する。
成立に争のない甲第四号証が大森競艇場において被告が現に使用したスリツト・カメラの基本構造の解説を示したものであることは当事者間に争がない。そして、当裁判所が被告に対して大森競艇場において被告が現に使用したスリツト・カメラの提出を命じ、被告が当該カメラなりとして提出したカメラにつき、それが原告の前記特許権の権利範囲に属するものなりや否やの点とその基本構造が前記甲第四号証のそれと同一なりや否やの二点につき鑑定(第一回)を命じたものであることは一件記録に徴し明瞭である。ところで、鑑定人古川利夫及び田村光治の第一回鑑定の結果によると、被告の提出したカメラの撮影装置では甲第四号証の説明図のような写真は撮影できないこと、両者の構造は大部分は同一であるが、甲第四号証の装置は被告提出のカメラに備えてある発着切換レバー、摩擦クラツチ及び安全接点から成る切換機構を備えていないものであることが認められる。したがつて、被告は右の切換機構を備えていないカメラを使用して大森競艇場において判定写真を撮影していたものと認めざるを得ない。そして、古川、田村両鑑定人の第二回鑑定の結果によると、右の切換機構を欠く場合には、被告提出のカメラの撮影装置は黒線特許権のそれには抵触しないが、白線特許権の権利範囲に属するものであること明らかである。したがつて、被告がスリツト・カメラを使用して大森競艇場において判定写真を撮影した行為は原告の白線特許権を侵害したものといわねばならない。
(利用関係の存否について)
被告が第一九三、〇八四号の特許権を有することは当事者間に争がない。そして、被告の右特許が、(イ)レンズの後方にスリツトを設けその後方に連続的にフイルムを移送せしめるスリツト・カメラにおいて(ロ)一定時間毎に、(ハ)不露出、露出不足或いは露出過度の部分をフイルムに生ぜしめることを特徴とする判定写真陰画の撮影装置であつて、原告の白線特許が、(甲)対面レンズの後方にスリツトを設けその後方を連続的にフイルムを移動せしめるスリツト・カメラにおいて、(乙)対面レンズを経てスリツト間隔に入射する光線をフイルム移動量に対し一定の比率をもつて遮断ないし制限することによりフイルム面に未感光ないし感光不足の線(以下、判定線という)をフイルム移動速度に関係なく一定間隔毎に生ぜしめながら、(丙)特定時刻において単一強力感光線をも併せ感光せしめることを特徴とする発着両用判定写真陰画の撮影装置であつて、原告の白線特許の撮影装置か(ロ)の「一定時間毎に」の要件を除く外はすべて被告の前記特許の装置ないしは要件を具備しているものであることも当事者間に争なく、また、フイルムの移動速度が等速であれば原告の白線特許の場合もフイルム面に表われる判定線は長さの尺度でも、時間の尺度でも等間隔になつて「一定時間毎に」の要件をみたすに至ることも当事者間に争がない。そして、古川、田村両鑑定人の第三回鑑定の結果によれば、技術的にはフイルムを変速移動させることも可能であるが、判定写真撮影の目的からみても、技術常識からいつてもフイルム移動は等速たることを一般とするものと認められ、また、証人佐々木孝之の証言によつても、原告が現に白線特許の撮影装置を使用して実際にボートレースの判定写真を撮影する場合にはモーターでフイルムを移動させており(この点は当事者間に争なく、またモーターの回転速度が一定であればフイルムが等速で移動することも当事者間に争がない)、モーターの回転速度は原則として一定にしているが、稀れにボートのスピードが急に落ちた場合に限つてその回転を変速させるが、こうした場合はごく稀れで全体の一パーセントにも足りない稀有な事例であることが認められる。
右に認定したところからすれば、原告の白線特許の撮影装置は被告の特許を利用しなければ絶対に使用できないものとはいえないが、その使用にあたつては一般に被告の特許を利用するのが通例であり、原告も右装置を使用してボートレースの判定写真を撮影する場合には現に被告の特許を利用してこれを行つているものであることが明らかである。そして、原告が被告の特許について実施の許諾を得ていないことは当事者間に争がないのであるから原告はその白線特許の装置を適法に使用できない関係にあるものといわねばならない。蓋し、特許相互の利用関係については一の特許が他の特許を利用しなければ全然実施することができない関係にある場合と、技術的には他の特許を利用せずとも実施できる関係にあるが実施の実際にあたつて現に他の特許を利用している場合とがあるが、いづれの場合にも他人の特許を利用する点においては変りがないのであるから、前者の場合も後者の場合も他人の特許につき実施の許諾を得なければ適法に自己の特許を実施できないものと解するのが相当だからである。
(結論)
前記のように、被告が大森競艇場においてスリツト・カメラを使用して判定写真を撮影したことは原告の白線特許権を侵害する行為であるから、原告は被告に対して右のスリツト・カメラの製作使用、販売、拡布等を差止めることができ、これによつて損害を未然にふせぐことができた筈である。また被告がもし右の判定写真の撮影を引受けなければ、原告がこれを引受けて相当の利益を収め得たであらうことも弁論の全趣旨に徴しこれを領するに足るものがあるが、原告自身も亦前段認定のように被告の特許について実施の許諾を得ていなかつたため適法にその特許に係る撮影装置を使用できない立場にあつたのであるから、右の収益を得べかりし利益の喪失として、被告に対してその賠償を請求できない関係にあたるものといわねばならない。このように解することは、一見すると、違法な行為によつて他人に損害を加えた者はこれによつて生じた損害を賠償しなければならないという不法行為上の損害賠償の原則に反するようにみえないでもないが、本件の場合は、前示のように、原告は適法に利益を収め得る地位を取得していなかつたのであるから、違法性が問題なのではなく因果関係が問題なのであつて、被告の違法行為と原告主張の損害との間には結局因果関係がないことになるので、原告の損害賠償の請求は爾余の争点について判断するまでもなく、これを棄却すべきものと考える。
よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 石井良三)